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富士バカ

8月10日~16日にかけて、『富士バカ』に行ってきました。東京から富士山まで歩いていこうというおバカな企画です。しかも無一文で歩くという原則のため、誰かに恵んでもらわないと食料にもありつけません。



そういう極限状態において何が見えるのか試してみたかったこと、そして我が北池袋シェアハウスの住人ほとんどが参加するということもあって、この無謀な企画に挑戦してみました。極端な状況設定はもとより、歩き通せるかも心配でした。



出発地点は町田。そこで、班分けが発表されます。さすがに、北池袋の住人とは別の班になっていました。おっくん、ゆき、まな、えみりーと同じ班になりました。



おっくんの中高の同級生であるしゅんぺい(富士バカ参加者にあらず)が偶然秩父ですいかを掘っていたそうで、届けに来てくれました。スタート前に食料を恵んでもらうという珍しい状況になりました。それだけでなく、しゅんぺいも少しいっしょに歩いていくことになりました。



途中の公園で、休憩がてらすいか割りをしました。
しゅんぺいすいか

公園から少し歩いたところにあるコンビニで、はじめて見ず知らずの人(コンビニの奥さん)から食料を恵んでもらいました。賞味期限がもうすぐ切れるパンをなんと9個も。涙が出るほどうれしかったのです。



橋本駅までしゅんぺいといっしょに歩きました。しゅんぺいは、別れ際にマックで一人一個ずつおごってくれました。しゅんぺいと同じ立場に置かれたとき同じことができるか、考えさせられました。



しゅんぺいと別れ、津久井湖方面を目指して歩きました。すると、大通りから一本はずれたところに素敵な喫茶店がありました。石井珈琲店と書かれた味のある看板が掲げられています。
石井珈琲店外

中には恐そうなマスターが一人います。営業時間は終了しているようです。でも、これまでの道中で少し勇気が湧いていた一行は、思い切って中に入ってみました。
石井珈琲店中

マスターの石井さんは想像とは違ってとても良い人で、お店の中で休ませてくれたばかりか、珈琲までごちそうしてくれました。
石井さん 石井さん珈琲

会社を早期退職し、50歳にして夢だった喫茶店をオープンしたのだそうです。こだわりの珈琲はそれはそれはおいしかったのです。



まなが、Tシャツにメッセージをもらっていました。
Tシャツメッセージ
『50のロマン』



その後、主催のかっちゃんたちの班と合流しました。13班もあるのに、大半の班は江ノ島などを通る海側のコースに行ってしまい、山側のコースに来たのはわずかに2班だけとのことでした。この2班は、それからいっしょに行動することになります。



なお、初日で携帯が充電切れになってしまったので、ここから先の写真はありません。



その日は、津久井湖のほとりの公園のようなところで野宿しました。やぶ蚊がひどく、蚊の羽音でたびたび目を覚ましました。



寝ていられなかったこともあって、翌朝は6時前には出発しました。公園で出逢った早起きの地元の方々に教わった、道志村というひなびた村を通る自然豊かなルートをたどることにしました。



かっちゃん班のかよが、すれ違う人や車すべてにあいさつしていました。すると、コンビニで出逢ったお兄さんが、車の窓からお菓子をさりげなくくれて走り去っていきました。なんだか、とてもかっこよかったのです。



歩いていると、『さがみのバリ』という妙な看板を掲げたお店がありました。立ち寄ってみると、ご主人はバリのみならず世界中を旅している素敵な方でした。すいかをご馳走になりました。『人生死ぬまで勉強』という言葉が印象的でした。



ほどなくして野菜の直売所があったので寄ってみると、井上さんという素敵なご主人が、わざわざすいかやらオクラやらを収穫して食べさせてくれました。それにしても、すいかに縁のある旅です。



そこから県境までが長かった。何本橋を渡っても神奈川県を出ることができません。日が暮れる頃になってようやくたどり着いた県境のキャンプ場で、屋根つきの場所に泊めていただくことができました。水しか出ないとはいえ、シャワーを使うことができました。



翌日は、ひたすらに山梨県道志村を歩きます。観光地化されておらず、コンビニが2軒しかないというすばらしくのどかな村です。



役場前(といってもお店ひとつないのですが)で出逢ったおじさんが、この先の小学生向けの施設で昨日の残り物がもらえるかもしれないという有益な情報をくれました。その施設まで歩いていってみると、おじさん(実は施設の先生でした)が、ダンボール箱いっぱいのおにぎりととうもろこしを用意して待っていてくれました。「富士山を舐めるな」という注意とともに食料をいただきました。先生は、教育者として我々の行為を心配し、そのうえでできる限りのことをしてくださったのでした。食料はおなかいっぱい食べてもゆうに余るほどの量があり、翌日まで我々の身体を満たし続けてくれました。本当にありがたかったです。



道端で休んでいた農家のおばあさんに話しかけると、今取ってきたばかりのきゅうりを一人一本ずつくれました。とれたてのきゅうりはほのかな甘みがあり、実に心に沁みたのです。



村境の山越えでかなり苦労し(1000メートル近くまで登りました)、ようやく山中湖村に入ったときには薄暗くなっていました。



山中湖班まであと2キロくらいのところにあるコンビニで休んでいたら、雨が降ってきました。みんなもう歩く気力もなく、野宿しようかと思っていたのですが、屋根がないところなのでこの雨では難しそうです。絶体絶命でした。


付近は合宿で使われるような高原地帯。宿泊施設はたくさんあります。雨宿りさせてくれないかとダメモトで頼みに行くと、なんとただで2部屋使っていいという望外の回答をいただきました。思わず最敬礼してしまいました。ゆっくりと広々とした風呂につかることもできたのです。



翌日は快適な布団でゆっくり寝過ごしてしまいました。そのことで、ご主人から軽く小言を頂戴してしまいました。気が緩みすぎたと反省します。



前日よりはるかに楽な山越えをして静岡県に突入。山を降り、ひとまずのゴール地点御殿場駅まであと3キロほどのところで突如激しい雨が降ってきました。道が河になってしまうほどの豪雨です。ここでリタイアしてタクシーにでも乗りたいくらいでしたが、ルールなので歩いて駅に向かいます。雨具がなかった人はずぶぬれになりながら気合で駅まで歩きました。



御殿場駅に着くと現金が解禁になります。銭湯に入り、ひさびさにお金を払ってラーメン屋で食事をしました。異が小さくなったようで、小盛りでもきつくて仕方ありませんでした。



高架橋の下で野宿し、翌日はいよいよ富士登山です。



富士バカといいつつ、5合目まではバスで向かいます。



夕方5時頃、須走口から登り始めました。



深夜、『あったかフォーメーション』と称してみんなで固まりつつ野宿しようとしました。が、寒すぎて眠れませんでした。むしろ、凍死しかねないくらいでした。けっきょく、深夜もゆっくり登り続けました。



8合目手前でご来光を見ました。幻想的な光景でしたが、それよりも眠気と戦うのでせいいっぱいでした。



8合目を過ぎると、高山病の症状を起こす人が出てきました。自分もなるかと心配していましたが、さっぱりならず、高山病のえみりーやまりもをはげましつつ、手を引きつつ登っていました。登り始める前は「安全第一無理せずに」と思っていましたが、ここまできたら、少々無理をしても本人の気力が続く限りは登ろうという風に考えが変わっていました。



さらに、他の班ではありましたが、北池袋住人であるとくさんが、一度9合目近くまで登ったものの体調を崩し、下山を余儀なくされるという悲劇もありました。降りてきたとくさんは顔色も悪く、まともに歩けない状態で、ゾンビのようでした。



とくさんは8合目まで降りたら少し回復したようで、不屈の精神で再び登ってきました。最終的に、とくさんも、えみりーやまりもも全員頂上に登ることができました。お昼の12時を過ぎていました。さすがに泣けました。



こうして振り返ってみると、素敵な旅だったように思われるかもしれません。たしかに、今までこれほどまでに人のあたたかさに触れたことはなかったように思います。月並みですが、日本もまだまだ捨てたもんじゃないと思えました。お世話になった方々にお礼を言いに行きたい気持ちもありますが、お世話になった方々に直接返せなかったとしても、今度は自分が親切を別の人にリレーしていけたらと思います。



ただ、「楽しかったね」だけで終わる旅だとも思えません。我々は本当にお金がないのではなく、企画として無一文で歩いているだけなのですが、それでいろいろ恵んでもらうのは、親切な方々を欺いているだけなのではないかと見る人もいるようです。山側はそうでもありませんでしたが、海側ではそうとうたくさん恵んでもらっている班もあったようです。物貰いゲームに堕落しているような気はしました。



そして、安全性の面からも疑問を感じています。そういう企画だといえばそれまでなのですが、特に本来なら体調を整えなければならない富士登山の前日に土砂降りの中を何キロも歩くのはいかがなものかと思います。それがどうしても引っかかって、だから御殿場駅に着いたときには素直に感動できなかったのです。



さらに、深夜の富士山での野宿は生命を犠牲にしかねない行為だと感じます。無謀な挑戦をしたつもりはありますが、生命まで投げ出したつもりはありません。やりすぎだと思うのです。



と、悲喜こもごもいろいろと感じるところはありましたが、良い経験をしたと思います。ただ、もうやらないだろうとも思います。



で、極限状態において自分がどうなるのかと思っていましたが、案外普通でした。たくさん歩いても、高山に登っても、特段体調を崩すこともなかったのです。意外とできるものですね。
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プロフィール

會澤康平

Author:會澤康平
1983年3月30日生まれ。茨城県取手市出身。

さだまさしさんに憧れて歌を歌い始めました。

35年もの長きに渡り第一線で活躍し、つらい状況の中でも言わなければならないメッセージを発信し続け、多くの人々に感動と元気を与え続けるさださんを心から尊敬しています。

さださんのような熱い想いと、人々の心を打つ、感情の機微が巧みに表現された楽曲を書ける力を兼ね備えたシンガーソングライターを目指しています。

応援よろしくお願いします!!

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